ささくれ診療室

ささくれをむいてもいいじゃないか

今年を振りかえって(マストドンのみんな大好きだよ~ポエムバージョン)

先に断っておくけれど、私は、大して苦労もしていないのに幸せそうにしている人です。そういう話を読むのがつらいコンディションの人は、避けた方がいいかもしれません。ごめんなさい。
そして、ひどく個人的かつフワっとした話が続くので、片目つむりながらサーッと読んでいってほしいです。
とか言い出すとキリがないんで、伝家の宝刀「なんでも許せる人向け」を置いて、本題に入りましょう。


2021年、とてもいい1年でした。

今年の自分としての大きな出来事は、趣味の創作作品をつくったこと。そして完成させたこと。
書き始めてかれこれ10年になりますが、かなりの遅筆で、今まで完成した作品が10もありません。今年も丸1年近くかけて、なんとか1作作り終えました。
そしてその傍らには、いつも仕事とマストドンがありました(優先順位がめちゃくちゃですね)。

趣味の創作では、今自分が持っている正直な気持ちを作品に詰め込みました。だらだらと1年近くかけて。
ようやく先日完成しましたが、ぶっちゃけ仕上がりは「時間かけるほどじゃなかったな」という感じで、そこまで面白いものにはなっていません。というか、詰めすぎました。とっ散らかって破綻してそれどころじゃなくなっちゃった。計画ミス。ありがち。
でも、自分の頭の中のものを今までにないぐらい詰め込めて、スッキリしました。ちょっと気がかりなまま放ったらかしてきたこと、不安に思っていること、いまだに割り切れないこと、でもやっぱり幸せだと思えること。

自分にとってのマストドン(で見た景色、そこで会った人たち)の存在も作品に影響したと思います。なにせ5年は余暇を溶かしているので、思うことはたくさんありました。本当にいろいろ。

次作以降は簡潔にわかりやすく、みじかくつよく、を心掛けたいです。ブログと、あとキャスも!(いつも「何の話をしているんだ」と言われてしまいます。悲しい) 全然、自信はありませんが…。


そして、マストドンについて。

今年は、断続的に「トゥ禁」「トゥ減」を挟みながら過ごしたので、社会人1年め、2年めの頃よりは、トータルのマストドンへの浮上時間は減ったはずです。
でも、だからこそ、マストドンのこと考える時間をたくさん持った1年でした。

先述の創作をしていたこともあり、自分にとって「ここ」で過ごした時間はなんだったのか、考えました。ここで出会った人たちのこと、彼らからいただいたもの。
「彼ら」の中には、たぶん、これを読んでくれているあなたも含まれるはずです。


今年最初の思い出は、2月の「トゥ禁」です。
社会人2年目も終わりに近づき、散々なクズっぷりを発揮していた学生時代の心の傷(笑)も癒えはじめ、「そろそろ前向きに、自分を高める方向に進もうかな」と思い始めていたころ。
時間を有効活用するために、1ヶ月くらいマストドンを断ってみよう、と思い立ちました。なにせ仕事もしてるくせに、週7日毎日何時間も入り浸っていたので。

案外、平気でした。時々、無性に寂しくなりましたが。

仕事の日のお昼、松屋豚めしの到着を待ちながら、今までならマストドンをしていた時間ですが、LINEのひとりグループに今の気持ちをつづったりして。

断っても普通に日々は回るけれど、どこにも行き場のない言葉は積もっていくものです。もう5、6年近くマストドンにどっぷり漬かる生活で、なんでもかんでも吐き出すことに慣れてしまっていたのでしょう。だいたいが些末なことなので、外に出さなきゃ、それはそれで大した支障はない。でもまた吐き出せる場所に戻ると、幸せだなと思ったり。
そして、マストドンからただ離れただけでは、そこまで時間を有効活用はできませんでした、たぶん(デイリーポータルZ巡回が捗るぜ!)。



1ヶ月あけて、久しぶりにトゥートした日のことは、よく覚えています。TLを追いながら、ぼろぼろ泣きました(かなり涙もろいので、これ自体はいつものことですが…)。

1ヶ月浮上しなかったことに、「全然気づかなかった」という人が多かった。それがむしろ、なんだかうれしかった。
気づかないでほしいわけじゃないんですが、そのくらいの温度感でも楽しく話してくれる。迎え入れるというレベルですらなく、ゆらっと存在を認識してくれている。そして、たまに来たら来たで、いいねをしあったり、ふわふわと同じ話をして過ごせる、この空気が好きだなあと思いました。

なかには、「居ないことに気づいていましたよ」と言ってくれた人もいて、そんなの気づいてくれるんだ、あったかい人だなあと。それもまたうれしかった。

1ヶ月なんてあっという間だけど、自分的には超久々という感じでTLを眺めて、「あ、私って自分で思っていたより、ここが大好きで、支えられてきたんだなあ」と実感しました。

私のトゥートをよくご覧になっている方は察すると思いますが、私は友達付き合いが浅いことがコンプレックスです。
特に大学生の後半くらいから、友人とすら直接話すのが怖い、自分を過剰に見せたら嫌われるから慎重にやらないと、と思うことが増えました。
悪い出会いがあったとかそういうことではなく、むしろそれまでの人生で、人間関係において傍若無人すぎたのだと思います。
自分は自分で他人は他人、という至極当然のラインを引くのが面倒になってきて、誰かと関わる場を避けてしまう。
でも寂しいからたまには友達と会うものの、そのたび、ままならない他者との付き合いに心の平穏を揺さぶられ、
「やってられっか」とマストドンで言葉を吐き出していた。

ここにいる時間は楽しいけど、いつもどこか不甲斐なく、後ろめたくも思っていました(今でも思っています)。
ここに来ればみんながいるけど、「いる」だけで、ほとんどの場合直接話すわけじゃないし。
時折リプが来たとしても、はなから軽い気持ちでフォローしあった人たちだから、ノリでテキトーに軽く楽しく、でいい。
そうやって、なんとな~くこの時間と、空気と、好きなモノだけ話題を共有して、ときに都合の悪い感情をやりすごしていた。

そんな、(私にとっては)不甲斐ない時間だけど、思った以上に愛おしいものだったのだと、1ヶ月ぶりにTLを眺めて、痛感しました。

ここで過ごすうちに、ここで「出会った」とも思わぬ間に出会っていた人たちを好きになっていた。少しだけ他人事じゃなくなっていた。見たらそれだけで心がちょっとあったまって、元気でいてほしいなあと感じる存在になっていた。

ここでは、自分に向けて話してくれる人もいました。
冗談めかしてだけど、「もうSNSで話してんだから友達でいいじゃん」とか言ってくれる人もいた。
いろんな人付き合いから逃げてきた自分でも、いつの間にか、「超高速の下水を流れる有象無象のアカウントたち」としか思っていなかったはずの人たちと、確かに、ある種の「友達」になれたんだ。そういうひとつの関わりを持つことができたんだ。
そう思えたときは感激して、やっぱり泣いたと思います。


今でも、個々人のことはちっとも知りませんし、リアルでもネットでも、人とがっつり関わることを避けてる自覚はあります。都合のいいとこだけつまみ食いして、悪くなったら逃げようとしてる自覚は、めちゃくちゃあります。
それでもやっぱり、
ここで出会って、ゆるりと仲良くしてくれる貴方たちが好きです。好きですよ。
どこまで続くかはわからない、なにかあれば一瞬で切れてしまうつながりだとわかっているけど、嬉しいと思ったことはずっと消えないので、何があってもその残り火を糧にこれからもやっていけます。…たぶん。

最近はTLを見に来るたびに「うお~、みんなが生きてるよ~」って泣いてます。涙の価値がグングン下落していくぜ。これからも酒の肴に、たくさん泣かせてください。



みなさんには、今年もいろいろなものをもらいました。いいねをもらうのもうれしいし、みっともないザマを笑われるのもうれしい。
おまけに赤の他人の私に、さらりと大切な助言をくれる人もいます。それにも影響を受けました。

6月のある日、「完璧な自分をイメージしてみたら」と、なにかの流れでそんなような言葉をもらいました。
そのとき、私は「完璧な自分」という言葉に抵抗を感じ、反論した挙句、あろうことか理不尽にキレ散らかしました。改めて、その節は暴言を吐いてごめんなさい。
(ちなみにハッキリ6月と覚えているのは、その日恋人とすき焼きを食ったので、写真が残っているからです。あろうことか肉をじゅうじゅうやりながら、ダバダバ泣いていたからです。完璧どころか最悪めな彼女です。彼氏にも改めて謝りたいと思います。)


でも、後でふと、深夜にその言葉を反芻しました。
私にとって「完璧な自分」はなんだろう。
そんなものはきっと自分の形をしていない、自分の自我を持っていないだろう、と思えました。でも、まだもう少し抗って。

案外、答えはスッと出ました。
全部矛盾だらけの自分を、それでも全部拾い上げるのが理想だ。
完璧な自分なんかいない、ちょっと前を向いたからって変われるわけがない…そう嘆くような自分も見放さない自分になりたい。
もっと言えば、もっと昔のもっとクソな自分――大学時代サークルぶっちして講義サボってそこらへんふらふらしてつけ麺食って下り電車乗ってスパ銭行って、トイレで2ちゃんみて授業料ドブに捨ててた―――アイツらも全員まとめて、この先もちゃんと連れて行く。
他人様にはこの先も認められてはいけない自分でも、せめて私だけは絶対に置いていかないでいよう。
でも、ちゃんと前進(成長)しよう。これが理想だと。

ひどく観念的でポエミ―な話ですし、言葉にすれば言い古されたものです。でも私自身の気持ちの置き場としては、その時になってやっと、すとんと落ち着きました。
友達にも家族にも恋人にも言えないことを、マストドンで散々吐いて散らかして、誰かにさらりと拾ったり流したりしてもらえた、そんな時間のおかげでそう思えたのかな、とも感じています。

改めてありがとう。そして、アンガーマネジメントはちゃんとします! 感情をコントロールする本、このときに買ったからね! 役に立ったから!(その本については過去の記事で紹介したので、よろしければ。)



そんなわけで、自分がずっとやりたかったこと…自分を見つめなおすこと、自分が伝えたかったことを形にすること…を、
今の自分ができる最大限にやった、そんな1年でした。
なんというか、大学時代、部屋やトイレでダラダラしていた分取りこぼした「青春」っぽい時間を、25歳の今を使って過ごせました。
今やってることじゃないな(Excelとプログラミングの勉強してないし)と思いつつ、こんな時間を持ててよかったと思っている自分もいます。

趣味をガッツリやったことで、仕事に対するやる気も(若干)高まりました。
楽しいことや、知りたいこと、やってみたいこと、できるようになりたいことが増えました。そして、自分がそれをやってもいいんだな、と思えています。
ダメな自分に打ち克てるかはわからないけど、でも立ち向かうくらいはいいのかなあと、そんな姿勢でいられてます。
来年も…というか明日からも。この気持ちを忘れず、少しずつでもいいから、目に見える前進をしていければ、と思います。


マジの個人的な話だけど、いい1年でした。
そしてそれは、全然関係ないけど、これを読んでくれているような、
私をご存じのみなさんのおかげです。

ここまで読んでくれてありがとう。
どうか、貴方が素敵な2022年を迎えられますよう、願っています。
これからも、どうぞよろしくお願いします。