ささくれ診療室

ささくれをむいてもいいじゃないか

「ささいなことを、グッと広げて」

ブログ、なんか楽しくなってきちゃった。

まとまった文章を書き、読まれること。感想をもらうこと。この感動、快感たるや。あったあった、これ。久しぶりに思い出してしまった。

趣味で、文章による物語の創作(ぼかした表現)をやっている。が、物語ってひとつまとめあげるにも困難だらけで…(そうでない人もいるだろうが、私はずっと苦手)。近頃はなかなか進捗がない。

その点、ブログのまとめやすさよ。いや、それも苦手だし、そこまで整頓されていないが…。でも物語よりはサクッと出しやすいし、読んでもらえるし、気持ちいい。このまま毎日日記でも書くか。


小学生の頃、実際にそういう宿題をやっていた。担任の先生が作文指導に熱心な人で、毎日、原稿用紙に日記を書く宿題があった。日記といいつつ、体裁を守って所定の字数まで書けば、内容は基本自由だったはず。

授業で教えた表現技法(体言止めとか、倒置法とか、比喩とか…)を盛り込めばハナマルで、さらに文章として優れたところがあればマルが増える。内容ではなくあくまで文章技術を評価してくれたので、好きなことを書いた。
「プールが嫌い」「ドッチボールは暴力的なスポーツなのでレクでやるべきでない」「書くことがない」「お腹が痛いけど誰にも言えなかった」など(お腹痛いときはちゃんと言いなさい。とコメントをもらった)。

物心ついたころからひどい引っ込み思案で内弁慶、小学校でも「しゃべってるところを滅多に見ない」タイプだった私も、作文となると多弁に奔放になれた。
毎日の日記は単なる宿題じゃなく、先生との重要なコミュニケーションツールであり、貴重な自己表現の場であった。多感な時期に、そういう自分に適したツールを与えてくださった先生には感謝の念に尽きない。
ただでさえ多忙な小学校教員。30人分の作文を毎日採点するなんて、恐ろしい作業量だったろうに…。でもその試みに、確かに人生を変えられた子供がいた。記者になるとか小説家になるとかそういう華々しいやつではないけど、私にとっては今振り返っても、重大なことだった。

ここまで読めば、きっと先生は私に気づくだろう。先生、お元気ですか? あの頃は本当にありがとうございました。…えっ? 本当に先生なんですか? 本当に? やめろ。マストドンなんかやめてくれ。


当時書いた作文はきちんとファイリングしてとってある。
たとえばこんな感じ。


*****


○月○日
 金曜日か土曜日(記憶が無いので分からない)は福岡先生の誕生日だった…らしい。
 基本的に自分の事しか考えていないので、森本さんから寄せ書きのことを聞いて初めて知った。「通知表Aにして、とか」を書くのだと森本さん。本当は通知表Aにして、が言いたいだけでは?と思いつつ、寄せ書きをすることになった。
 結局「お願い」の部分は、「体育の時数減らして」「スポーツ大会やりたくない」などと書くのもなんなので、「残り半年もよろしくお願いします」とした。半年という表現が合っていない様な気もしなくはないが、まあお願いしますが大事なのだ。要は気持ちだ、と強引に自分に言い聞かせた。
 先生のリアクションが何だかびみょうだったが、寄せ書きをわたす事ができた。小学校生活も残りわずかだが、福岡先生の授業からできる限り多くの事を得られるよう努力したいと思う。最後だけやけに真面目なふりをしているが、この私が努力しそうにもないが、まあ、大体は正直な気持ちである。



11月30日
 スポーツ大会も終わり、やっとイベントにふり回されなくなりそうだ。それにしても、行きの電車はつらかった…。眠くなるしだるくなるし、駅を出てふらふら歩いていたら何かにぶつかった。これで運動なんてできるのかと思ったほどだった。
 今日は算数と席がえについてのアンケートがあった。
 算数の希望はB組と書いておいた。ゆっくりやってもらわないと、取り残されてしまうのだ。ゆっくりやってもらっていても、取り残される事もあるのだが。
 席がえは、となりだったら成長できる人は「いない」と書いた。でも、「この人だったら、というほど特別な人はいない」という意味である。良くも悪くも、となりの人としてはあまり変わらない気がするのだ。それでも、近所トラブルにまきこまれるのは嫌なので、静かで平和な席がいいと思う。
 明日から十二月。兄に「つらいよ」とさんざん言われてきた中学が、少しずつ近づいてくる。ゆっくり過ぎてくれと思えば思うほど、早く過ぎるものだなあ、と老人のように思う。


*****


われながら、小6にしてはけっこううまいほうだったんじゃないかと。どう思う?

しかし……今よ。成長がない。文体も思考もまんまだ。文章力、退化してるまであるんじゃん?この時点から地道に本を読み文章力を磨き続ければ、もう少し使える武器になったろうに。怠ったな…。

でも、あの頃得た「届くんだ」という手応え、反応をもらう喜び、達成感は、たしかな自分の基盤になった…気がする。
ただ食べること、踊ること、歌うことが楽しいように、書くことはそれだけで楽しい。拙いけれど、大抵軽はずみで薄っぺらいけれど、言葉を持つ喜びを知れてよかった。

最後に、ファイルにあった初回の「日記」が『ささくれ』でしかなかったので、みなさんにも読んでほしい。


***


 五年三組での思い出の中で「作文」がある。宿題が日記になってからは、毎日話題を考えて楽しんだり、いい評価をねらってははりきったりしていた。今日からは、その日記をまた毎日書くことになる(昨日は「家族の描写」だったので)。
 今年から字数も多くなり、書くのが大変ではあるが、なんとか書いていこうと思う。
 と、書いたはいいが、早速話題が無い。そもそも、さほどどころか全然話として成立するような生活をしていないのだ。特別出かける事もほとんどないし、家に帰ればだらだら、だらだら、だらだら…。五年の最後もこんな事ばかり書いていた気がする。
 何かテーマでもあればいいのだが。と、結局無意味な「日記」という名のぐち作文になってしまったが…明日は苦手科目の体育と、委員会があるので、まあ話題はできるはずなのだが。


(先生より)ささいなことを、グッと広げて。


***


先生。10年たっても、ささいなことをグッと広げてばかりの毎日です。