ささくれ診療室

ささくれをむいてもいいじゃないか

近況報告!2022晩夏~セルフ日報と親友法~

こんにちは、ささくれです。

夏、終わってしまいましたね。

社会人4年目、仕事の進捗をあげつつ心をすこやかに保つため、いろいろな対策を打ってきましたが、最近自分に合ったやり方を見つけて少しずつ調子が上向いてきたので、備忘録がてらにその報告をば。

 セルフ日報をつけはじめました

Googleフォームで、1日の勤務を振り返る簡単なアンケートを作成し、毎日帰りの電車で回答するようにしました。

とっても主観的



こんな具合で至ってシンプル。その日の気分と進捗を振り返り、詳細を書き添える欄と、その反省を踏まえて次回に活かせること、翌日に行うこと、を記述する欄があります。

 

「アンケートを送信する」という仕組みにすることで、だらだら振り返り続けることもないし、

必須項目は日付∔今日の気分・進捗の5段階自己評価だけなので、精神的ハードルも低い(自己評価さえつけてしまえば、ちゃんと詳細まで書きたくなるのです)。

 

まあ、はじめて一週間ですでに2日は帰りの回答をすっぽかしてますが、翌日にサクッと答えることで一応続いています。

 

 やってよかったこと

心が片付く感じがしますし、自分の目指すべき方向がはっきりしました。

今までは仕事でモヤモヤしたことがあっても、SNSなりネサフなり音楽なり無理やり別のことに切り替えて忘れていたのですが、

まあそれって、散らかした机の上のものをドサーッ!って床に落としてる感じなんですよね。

やっぱりお片付けって大事ですね、何事も。と改めて痛感しました。

 

「今日の反省を踏まえて次回に活かせること」の欄に、日々得た知見がたまっていくのもよいものです。朝出勤前に見直すと捗る…ような気がしています。

うまくいったのは、

  • なるべく優先順位でなく、サクッと終わるものから片付ける(5分、10分で終わる仕事は来た瞬間に、何事も鮮度が命)

目先のキモチイイことに何より弱い自分にとって、結局「今来た仕事を今打ち返す快感」を目的に据えるのが一番うまくハマりました。

  • ひとつの仕事が終わったら机を片付ける

これだけで頭の中も片付く感覚があります。重度の散らかし屋なので、この当たり前の事実にずっと気付いていませんでした。机の上と頭の中ってリンクするんだね。

 

しごく当たり前な事実ばかりですが、自分で腑に落ちるところまで来たことに意味があるのだと思います。今後も人間としてのレベルを少しずつ上げていきたい。

 

泣き反省とセルフ親友法

仕事で泣いた理由の振り返り

「セルフ日報」には、上記の内容のほか、任意回答の2ページ目を設けています。

「少しだけ泣いた」を作り忘れたまま今に至る

お恥ずかしい話ですが、ここ半年位、仕事中にかなりの頻度で(悪いときは毎日レベルで)涙を流していることに悩んでいました。

忙しすぎるとか、毎日のように叱られるとか、そういう困った労働環境でもなく、上司も同僚もみないい人……にもかかわらず、です。

幸い私の上司はSSR級の良い人なので、「泣くので気分が切り替わるなら、まあ、ええんちゃう」と言い、ダバ泣きの私にも普通に話しかけてくれますし、私も普通に答えていました(むしろ人と話している方が気が紛れて楽だったりしました)。

 

とはいえさすがに泣きが日常になるのはどうかということで、その日泣いたときのこととその理由を振り返るようにしました。

その後に設けたのが、「泣くに至った理由について、今振り返ってかけてやれる言葉」という欄です。

何かで聞きかじった方法で、何かには「親友に言葉をかけるつもりで考えるといい」とあったので、そうしてみました。

今書いていて、ソースも詳細も思い出せないので妙にモヤモヤしてきましたが、とにかく自分の正直な負の感情を書き出した後で、「自分がこの人の親友なら、どう返事をするか」を考え、優しく前向きな言葉を書き連ねるというやり方です。

 

どうなったか。

 

こんなことになってしまった。

そしてダバ泣きしました。

 

帰りの電車で、路上で、おもしろいくらい延々と泣き、そして妙にすっきりしました。憑き物が落ちたようとはこのことか。

そして上記のスクショの通り、この日(アンケート初日)の翌日から、勤務時間中に泣くことがめっきり減りました。

 

想像以上に効いてしまった……。

 

昔、面接で大泣きした会社の採用担当者に、「自分の過去の話をすると泣いてしまう」ということを伝えたときに「感情に名前をつけて、箱に入れてやるといいのかもしれませんね」といったような言葉をかけられたのを思い出しました。本当にそうだなあ、ということです。それにしても良い人だな、この人。結果その会社とはご縁がなかったわけですが、あの面接は本当に感謝しています。

今の会社でも面接でダバ泣きしましたが、うちの採用担当には「泣いたら周りの人が困るから克服できるといいよね」と言われ、いやもう本当にその通りだなあと思い、その真っ当さと誠実さに信頼を新たにしたものです。

なんとなく自分の中で象徴的で、忘れられない思い出です。これからもこの会社で頑張りたいと思います。

話がそれました。 

 

そんなわけで、私はこの「親友になったつもりで、自分のマイナスの感情に言葉をかけてあげる」という、確実になんらかソースがあったのに思い出せないやり方を便宜上「親友法」と呼び、今後も折に触れて取り入れていこう、と決めたのでした。

なお、良き親友になるポイントとしては「まず相手(※自分)の感情をそのまま認める」「いきなり客観的であろうとしない、寄り添うことを優先する」です。とはいえ、まだ親友としての経験値は低いので、今後も(泣くことが減っても)なるべくたくさん話をしていきたいな、と思っています。

 

私は自分のことが大好きだ…(めちゃくちゃ自己顕示欲が強いので)と思っていたのですが、実は自己顕示欲はそれとして、思ってたより自分のことを強固に否定してきたのかもなあと思ったりしました。

一番近くにいる自分を、自力でちゃんと労わってやらないとダメですね。勝手にやってるぶんには、誰にも迷惑もかけないし、非難されるいわれもないですしね。

元気よく愉快に生きていけるよう、今後も工夫していきたいと思います。

 

以上、ささくれでした。

 

 

今年を振りかえって(マストドンのみんな大好きだよ~ポエムバージョン)

先に断っておくけれど、私は、大して苦労もしていないのに幸せそうにしている人です。そういう話を読むのがつらいコンディションの人は、避けた方がいいかもしれません。ごめんなさい。
そして、ひどく個人的かつフワっとした話が続くので、片目つむりながらサーッと読んでいってほしいです。
とか言い出すとキリがないんで、伝家の宝刀「なんでも許せる人向け」を置いて、本題に入りましょう。


2021年、とてもいい1年でした。

今年の自分としての大きな出来事は、趣味の創作作品をつくったこと。そして完成させたこと。
書き始めてかれこれ10年になりますが、かなりの遅筆で、今まで完成した作品が10もありません。今年も丸1年近くかけて、なんとか1作作り終えました。
そしてその傍らには、いつも仕事とマストドンがありました(優先順位がめちゃくちゃですね)。

趣味の創作では、今自分が持っている正直な気持ちを作品に詰め込みました。だらだらと1年近くかけて。
ようやく先日完成しましたが、ぶっちゃけ仕上がりは「時間かけるほどじゃなかったな」という感じで、そこまで面白いものにはなっていません。というか、詰めすぎました。とっ散らかって破綻してそれどころじゃなくなっちゃった。計画ミス。ありがち。
でも、自分の頭の中のものを今までにないぐらい詰め込めて、スッキリしました。ちょっと気がかりなまま放ったらかしてきたこと、不安に思っていること、いまだに割り切れないこと、でもやっぱり幸せだと思えること。

自分にとってのマストドン(で見た景色、そこで会った人たち)の存在も作品に影響したと思います。なにせ5年は余暇を溶かしているので、思うことはたくさんありました。本当にいろいろ。

次作以降は簡潔にわかりやすく、みじかくつよく、を心掛けたいです。ブログと、あとキャスも!(いつも「何の話をしているんだ」と言われてしまいます。悲しい) 全然、自信はありませんが…。


そして、マストドンについて。

今年は、断続的に「トゥ禁」「トゥ減」を挟みながら過ごしたので、社会人1年め、2年めの頃よりは、トータルのマストドンへの浮上時間は減ったはずです。
でも、だからこそ、マストドンのこと考える時間をたくさん持った1年でした。

先述の創作をしていたこともあり、自分にとって「ここ」で過ごした時間はなんだったのか、考えました。ここで出会った人たちのこと、彼らからいただいたもの。
「彼ら」の中には、たぶん、これを読んでくれているあなたも含まれるはずです。


今年最初の思い出は、2月の「トゥ禁」です。
社会人2年目も終わりに近づき、散々なクズっぷりを発揮していた学生時代の心の傷(笑)も癒えはじめ、「そろそろ前向きに、自分を高める方向に進もうかな」と思い始めていたころ。
時間を有効活用するために、1ヶ月くらいマストドンを断ってみよう、と思い立ちました。なにせ仕事もしてるくせに、週7日毎日何時間も入り浸っていたので。

案外、平気でした。時々、無性に寂しくなりましたが。

仕事の日のお昼、松屋豚めしの到着を待ちながら、今までならマストドンをしていた時間ですが、LINEのひとりグループに今の気持ちをつづったりして。

断っても普通に日々は回るけれど、どこにも行き場のない言葉は積もっていくものです。もう5、6年近くマストドンにどっぷり漬かる生活で、なんでもかんでも吐き出すことに慣れてしまっていたのでしょう。だいたいが些末なことなので、外に出さなきゃ、それはそれで大した支障はない。でもまた吐き出せる場所に戻ると、幸せだなと思ったり。
そして、マストドンからただ離れただけでは、そこまで時間を有効活用はできませんでした、たぶん(デイリーポータルZ巡回が捗るぜ!)。



1ヶ月あけて、久しぶりにトゥートした日のことは、よく覚えています。TLを追いながら、ぼろぼろ泣きました(かなり涙もろいので、これ自体はいつものことですが…)。

1ヶ月浮上しなかったことに、「全然気づかなかった」という人が多かった。それがむしろ、なんだかうれしかった。
気づかないでほしいわけじゃないんですが、そのくらいの温度感でも楽しく話してくれる。迎え入れるというレベルですらなく、ゆらっと存在を認識してくれている。そして、たまに来たら来たで、いいねをしあったり、ふわふわと同じ話をして過ごせる、この空気が好きだなあと思いました。

なかには、「居ないことに気づいていましたよ」と言ってくれた人もいて、そんなの気づいてくれるんだ、あったかい人だなあと。それもまたうれしかった。

1ヶ月なんてあっという間だけど、自分的には超久々という感じでTLを眺めて、「あ、私って自分で思っていたより、ここが大好きで、支えられてきたんだなあ」と実感しました。

私のトゥートをよくご覧になっている方は察すると思いますが、私は友達付き合いが浅いことがコンプレックスです。
特に大学生の後半くらいから、友人とすら直接話すのが怖い、自分を過剰に見せたら嫌われるから慎重にやらないと、と思うことが増えました。
悪い出会いがあったとかそういうことではなく、むしろそれまでの人生で、人間関係において傍若無人すぎたのだと思います。
自分は自分で他人は他人、という至極当然のラインを引くのが面倒になってきて、誰かと関わる場を避けてしまう。
でも寂しいからたまには友達と会うものの、そのたび、ままならない他者との付き合いに心の平穏を揺さぶられ、
「やってられっか」とマストドンで言葉を吐き出していた。

ここにいる時間は楽しいけど、いつもどこか不甲斐なく、後ろめたくも思っていました(今でも思っています)。
ここに来ればみんながいるけど、「いる」だけで、ほとんどの場合直接話すわけじゃないし。
時折リプが来たとしても、はなから軽い気持ちでフォローしあった人たちだから、ノリでテキトーに軽く楽しく、でいい。
そうやって、なんとな~くこの時間と、空気と、好きなモノだけ話題を共有して、ときに都合の悪い感情をやりすごしていた。

そんな、(私にとっては)不甲斐ない時間だけど、思った以上に愛おしいものだったのだと、1ヶ月ぶりにTLを眺めて、痛感しました。

ここで過ごすうちに、ここで「出会った」とも思わぬ間に出会っていた人たちを好きになっていた。少しだけ他人事じゃなくなっていた。見たらそれだけで心がちょっとあったまって、元気でいてほしいなあと感じる存在になっていた。

ここでは、自分に向けて話してくれる人もいました。
冗談めかしてだけど、「もうSNSで話してんだから友達でいいじゃん」とか言ってくれる人もいた。
いろんな人付き合いから逃げてきた自分でも、いつの間にか、「超高速の下水を流れる有象無象のアカウントたち」としか思っていなかったはずの人たちと、確かに、ある種の「友達」になれたんだ。そういうひとつの関わりを持つことができたんだ。
そう思えたときは感激して、やっぱり泣いたと思います。


今でも、個々人のことはちっとも知りませんし、リアルでもネットでも、人とがっつり関わることを避けてる自覚はあります。都合のいいとこだけつまみ食いして、悪くなったら逃げようとしてる自覚は、めちゃくちゃあります。
それでもやっぱり、
ここで出会って、ゆるりと仲良くしてくれる貴方たちが好きです。好きですよ。
どこまで続くかはわからない、なにかあれば一瞬で切れてしまうつながりだとわかっているけど、嬉しいと思ったことはずっと消えないので、何があってもその残り火を糧にこれからもやっていけます。…たぶん。

最近はTLを見に来るたびに「うお~、みんなが生きてるよ~」って泣いてます。涙の価値がグングン下落していくぜ。これからも酒の肴に、たくさん泣かせてください。



みなさんには、今年もいろいろなものをもらいました。いいねをもらうのもうれしいし、みっともないザマを笑われるのもうれしい。
おまけに赤の他人の私に、さらりと大切な助言をくれる人もいます。それにも影響を受けました。

6月のある日、「完璧な自分をイメージしてみたら」と、なにかの流れでそんなような言葉をもらいました。
そのとき、私は「完璧な自分」という言葉に抵抗を感じ、反論した挙句、あろうことか理不尽にキレ散らかしました。改めて、その節は暴言を吐いてごめんなさい。
(ちなみにハッキリ6月と覚えているのは、その日恋人とすき焼きを食ったので、写真が残っているからです。あろうことか肉をじゅうじゅうやりながら、ダバダバ泣いていたからです。完璧どころか最悪めな彼女です。彼氏にも改めて謝りたいと思います。)


でも、後でふと、深夜にその言葉を反芻しました。
私にとって「完璧な自分」はなんだろう。
そんなものはきっと自分の形をしていない、自分の自我を持っていないだろう、と思えました。でも、まだもう少し抗って。

案外、答えはスッと出ました。
全部矛盾だらけの自分を、それでも全部拾い上げるのが理想だ。
完璧な自分なんかいない、ちょっと前を向いたからって変われるわけがない…そう嘆くような自分も見放さない自分になりたい。
もっと言えば、もっと昔のもっとクソな自分――大学時代サークルぶっちして講義サボってそこらへんふらふらしてつけ麺食って下り電車乗ってスパ銭行って、トイレで2ちゃんみて授業料ドブに捨ててた―――アイツらも全員まとめて、この先もちゃんと連れて行く。
他人様にはこの先も認められてはいけない自分でも、せめて私だけは絶対に置いていかないでいよう。
でも、ちゃんと前進(成長)しよう。これが理想だと。

ひどく観念的でポエミ―な話ですし、言葉にすれば言い古されたものです。でも私自身の気持ちの置き場としては、その時になってやっと、すとんと落ち着きました。
友達にも家族にも恋人にも言えないことを、マストドンで散々吐いて散らかして、誰かにさらりと拾ったり流したりしてもらえた、そんな時間のおかげでそう思えたのかな、とも感じています。

改めてありがとう。そして、アンガーマネジメントはちゃんとします! 感情をコントロールする本、このときに買ったからね! 役に立ったから!(その本については過去の記事で紹介したので、よろしければ。)



そんなわけで、自分がずっとやりたかったこと…自分を見つめなおすこと、自分が伝えたかったことを形にすること…を、
今の自分ができる最大限にやった、そんな1年でした。
なんというか、大学時代、部屋やトイレでダラダラしていた分取りこぼした「青春」っぽい時間を、25歳の今を使って過ごせました。
今やってることじゃないな(Excelとプログラミングの勉強してないし)と思いつつ、こんな時間を持ててよかったと思っている自分もいます。

趣味をガッツリやったことで、仕事に対するやる気も(若干)高まりました。
楽しいことや、知りたいこと、やってみたいこと、できるようになりたいことが増えました。そして、自分がそれをやってもいいんだな、と思えています。
ダメな自分に打ち克てるかはわからないけど、でも立ち向かうくらいはいいのかなあと、そんな姿勢でいられてます。
来年も…というか明日からも。この気持ちを忘れず、少しずつでもいいから、目に見える前進をしていければ、と思います。


マジの個人的な話だけど、いい1年でした。
そしてそれは、全然関係ないけど、これを読んでくれているような、
私をご存じのみなさんのおかげです。

ここまで読んでくれてありがとう。
どうか、貴方が素敵な2022年を迎えられますよう、願っています。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

HTMLおぼえたての人が書くやつ

はてブロの機能、全然使ってないのでいろいろためしてみる記事。

昼食、惰性マックになりがち

マクドナルド 品川インターシティ店
〒108-0075 東京都港区港南2-15-2 B棟B1
500円(平均)500円(ランチ平均)
r.gnavi.co.jp
だっていつ食べてもうまいんだもん。やべぇじゃんな。

今日はエグチセット(ポテトS)。
エグチ(エッグチーズバーガー)、おいしいし、
マックとしては比較的やさしめな味付けなので、平日ランチセットでダブチやてりやきを攻める元気がないときに最適だ。

今後はこんな感じで見出しをつけていこうかな

そのほうが完全に読みやすいもんね。面倒だけど


上のはこちらのサイトを参考にさせていただきました。

よく使うタグを予測変換とかにいれておけばいいのかな。みんなそんなアナログな感じでやってるのか? でも、そうよね。みんながみんなコーダーじゃないもの。HTMLマスターじゃないものね。

HTMLマスターになりてぇ!!!!!


小さくしていく

もっと

もっと小さくしていく
たのしー

午後もお仕事 がんばろう!









HTMLの話はまた今度書きたいな!

黒船見聞録

★今日は女性向けの記事ですよ(BがLみたいな意味ではなく、おそらく本来の意味で)。



女の子の日につき、ぽむぽむぺいんで横になっています。

こういう周期をあまりインターネットに書かないほうがいいらしいよ(風の噂で聞きました)。
でもリアルであまりこういった話題を語ることってないので、書いてみたいな、と思って…




**以下、赤裸々な話もありますので…
苦手な方はブラウザバック推奨です!←言ってみたかった**





いつも初日~2日目の腹痛がいやでバファリンを飲むんで、いつ来ても対応できるように(平常時の頭痛対策も兼ねて)、箱で持ち歩いている。はずだったんだけど、今日見たらカラになってた。マジ?
1箱40錠。いつのまに20回も服用したっけ、こわい。

…と思ったけど1日2回で4錠、2日分で8錠飲めば5か月分。そんなもんか。別の機会にも必要なら飲んでるから、なるほど…飲んでるわ…バファリンさまさまだな。

ちなみにこだわりはない。イブでもぜんぜん効くし、飲み続けて効果が薄くなったりもしてない。バファリンルナは興味あるけど買ったことない。せっかくなら汎用性があったほうがいいかな~と思ってしまう。


中学生くらいの頃は、女の子の日のことをペリーさんって呼んでいた。ベリーさん来ちゃったからプール入れない、みたいな。なんでだろうね。経血を黒船に見立てている?


そんなペリーさんスケジュール。私の場合はこんな感じです。人のペリー事情ってあまり知ることないだろうから(私だけ?)つつしんで開陳していくわよ。



開始前…PMSっぽいものは無し。
そういや数日前にメンタル沈んでたかも!とか思ったこともあったが、そもそも年中センチメンタルなんで…関係なく塞いでる時期も多々あるんで、やっぱり関係ないだろうと思う。

初日…足のだる重感などの前触れがあり、血がやってくる。腹痛もスタート。起きてられない…みたいな痛みではないが、出かけるのが億劫になったり、集中に支障は出る程度のやつ(痛みという自分だけの感覚を人に伝えるの、難しいな。これも本当に適切なのか?)。

人によっちゃ「元気」の域のうちに入りそうなくらいの痛みだが、何事も我慢は嫌いなので、ためらわず薬を飲む。バファリン飲んでしばらく待てば、腹痛はほぼ消失。
この腹痛は下痢痛とは別物だが、それはそれとしてお腹は下しやすくなる(普段から胃弱傾向にあるが、さらに)。大好きな油ものもこの時期は我慢だ…。ただし我慢できずに食べることもある。いつもよりひどく下す。それでも女には食わねばならないときがある(ない)。

2日目…血量、腹痛共にピーク。
朝、出勤前にバファり、約6時間経過し薬も切れてきた昼過ぎに二度目のバファり、がセオリー。これで(血問題以外は)快適に仕事が可能。
夜は薬が切れるが、1日2バファのルールを守りおとなしく過ごす。横になったり、腹部をあたためたりするとわりと良い。

血量は困るが、タンポンはまだ使ったことがないので、ナプキンを巧みに取り替えながら戦う。トイレットペーパーぐるぐるによって「壁」を作る戦法なども活用しているが、絶対よくないよねこれ。肌とかもろもろ。でも耐久力足りないし、漏れるんだもん…

今日も夜用付けたけどさ、よく見たらこれ羽がないじゃんね。わずかな羽っぽいのはあるけど、真横にぐん!と伸びるやつがない。心もとない。羽なしの存在意義がわからない。ちょっと安いこと?

羽はくるんと巻いてショーツに固定するためのものじゃなくて「拡張パック」だから。給水エリアの拡大&横モレ防止措置として、広げたままのせている。肌と触れる側は太ももとくっつき、接着側は何にも触れない状態。これがあるとないとじゃ違うよ。違うかな?たぶん違う。


3日目~…3日目過ぎるとほぼ痛みはなくなる。血はまだ普通に出るが、ピークより減少。脳に血が足りてないなぁ~という感覚はあり、なんとなくいつもは飲まないプルーンのむヨーグルト買っちゃったり、日高屋にニラレバ食べに行っちゃったりする。日頃から摂っておきましょうね。

終焉までの日数は…いつもちゃんと考えてないけど、たぶん5~6日くらい、細々と続いていると思う。だんだん茶色い薄~いのになっていき、そろそろ卒業かな?とやめてみたら思ったよりまだ出た、みたいなのやりがち。ケチッてはいけませぬ。


そんな感じです。とりあえずバファリンくんがいれば困ることはない。でもジャンクなものが食べにくくなるのは悲しい(食べるけど)。
あとは血との戦い。ナプキンの配置がへたくそでよく汚す。事故らないよういろいろ履いてはいるものの、「ズレやがって…」とソフィにキレながらおパンツを洗う日々だ。
前方にしっかり余裕持った方がいいな~と思いながら配置するんだけど、それでも下がってくるからね、そんで前にウワッて出るの、やだわー。あと左右ズレからの誤爆クソゲー。寝てるときとか正解がわからない。絶対「漏れ」の空間ができちゃうじゃん…?風呂場で寝ればいいか?



この世に生理休暇というものがあると知ったときはとても驚いた。起き上がれないほどキツイのが来る人もいるなんて…そんなん月イチで来ちゃもう一大事じゃん、と。お大事にしてほしい。
ライフハックとか捻り出せるかと思ったけどなにもなかった。むしろ漏れ対策の正解を見つけてないんで、知りたいくらいだね。やっぱ、タンポるか…

あと夏場…ちょうどいまなんですけど、太ももの付け根が蒸れてかゆくなりがちで、かいてかぶれちゃったりするんだけど、治りかけのころにペリーが来てかぶれが悪化するケースがあり困っている。ローレッグ…でいいのか?あの太もも付け根をしめつけないやつ、ズボンみたいな形状のやつ、ちょっと買ってみたい。今日もオチはありません。みなさん、いい1日を過ごせましたか?

「ささいなことを、グッと広げて」

ブログ、なんか楽しくなってきちゃった。

まとまった文章を書き、読まれること。感想をもらうこと。この感動、快感たるや。あったあった、これ。久しぶりに思い出してしまった。

趣味で、文章による物語の創作(ぼかした表現)をやっている。が、物語ってひとつまとめあげるにも困難だらけで…(そうでない人もいるだろうが、私はずっと苦手)。近頃はなかなか進捗がない。

その点、ブログのまとめやすさよ。いや、それも苦手だし、そこまで整頓されていないが…。でも物語よりはサクッと出しやすいし、読んでもらえるし、気持ちいい。このまま毎日日記でも書くか。


小学生の頃、実際にそういう宿題をやっていた。担任の先生が作文指導に熱心な人で、毎日、原稿用紙に日記を書く宿題があった。日記といいつつ、体裁を守って所定の字数まで書けば、内容は基本自由だったはず。

授業で教えた表現技法(体言止めとか、倒置法とか、比喩とか…)を盛り込めばハナマルで、さらに文章として優れたところがあればマルが増える。内容ではなくあくまで文章技術を評価してくれたので、好きなことを書いた。
「プールが嫌い」「ドッチボールは暴力的なスポーツなのでレクでやるべきでない」「書くことがない」「お腹が痛いけど誰にも言えなかった」など(お腹痛いときはちゃんと言いなさい。とコメントをもらった)。

物心ついたころからひどい引っ込み思案で内弁慶、小学校でも「しゃべってるところを滅多に見ない」タイプだった私も、作文となると多弁に奔放になれた。
毎日の日記は単なる宿題じゃなく、先生との重要なコミュニケーションツールであり、貴重な自己表現の場であった。多感な時期に、そういう自分に適したツールを与えてくださった先生には感謝の念に尽きない。
ただでさえ多忙な小学校教員。30人分の作文を毎日採点するなんて、恐ろしい作業量だったろうに…。でもその試みに、確かに人生を変えられた子供がいた。記者になるとか小説家になるとかそういう華々しいやつではないけど、私にとっては今振り返っても、重大なことだった。

ここまで読めば、きっと先生は私に気づくだろう。先生、お元気ですか? あの頃は本当にありがとうございました。…えっ? 本当に先生なんですか? 本当に? やめろ。マストドンなんかやめてくれ。


当時書いた作文はきちんとファイリングしてとってある。
たとえばこんな感じ。


*****


○月○日
 金曜日か土曜日(記憶が無いので分からない)は福岡先生の誕生日だった…らしい。
 基本的に自分の事しか考えていないので、森本さんから寄せ書きのことを聞いて初めて知った。「通知表Aにして、とか」を書くのだと森本さん。本当は通知表Aにして、が言いたいだけでは?と思いつつ、寄せ書きをすることになった。
 結局「お願い」の部分は、「体育の時数減らして」「スポーツ大会やりたくない」などと書くのもなんなので、「残り半年もよろしくお願いします」とした。半年という表現が合っていない様な気もしなくはないが、まあお願いしますが大事なのだ。要は気持ちだ、と強引に自分に言い聞かせた。
 先生のリアクションが何だかびみょうだったが、寄せ書きをわたす事ができた。小学校生活も残りわずかだが、福岡先生の授業からできる限り多くの事を得られるよう努力したいと思う。最後だけやけに真面目なふりをしているが、この私が努力しそうにもないが、まあ、大体は正直な気持ちである。



11月30日
 スポーツ大会も終わり、やっとイベントにふり回されなくなりそうだ。それにしても、行きの電車はつらかった…。眠くなるしだるくなるし、駅を出てふらふら歩いていたら何かにぶつかった。これで運動なんてできるのかと思ったほどだった。
 今日は算数と席がえについてのアンケートがあった。
 算数の希望はB組と書いておいた。ゆっくりやってもらわないと、取り残されてしまうのだ。ゆっくりやってもらっていても、取り残される事もあるのだが。
 席がえは、となりだったら成長できる人は「いない」と書いた。でも、「この人だったら、というほど特別な人はいない」という意味である。良くも悪くも、となりの人としてはあまり変わらない気がするのだ。それでも、近所トラブルにまきこまれるのは嫌なので、静かで平和な席がいいと思う。
 明日から十二月。兄に「つらいよ」とさんざん言われてきた中学が、少しずつ近づいてくる。ゆっくり過ぎてくれと思えば思うほど、早く過ぎるものだなあ、と老人のように思う。


*****


われながら、小6にしてはけっこううまいほうだったんじゃないかと。どう思う?

しかし……今よ。成長がない。文体も思考もまんまだ。文章力、退化してるまであるんじゃん?この時点から地道に本を読み文章力を磨き続ければ、もう少し使える武器になったろうに。怠ったな…。

でも、あの頃得た「届くんだ」という手応え、反応をもらう喜び、達成感は、たしかな自分の基盤になった…気がする。
ただ食べること、踊ること、歌うことが楽しいように、書くことはそれだけで楽しい。拙いけれど、大抵軽はずみで薄っぺらいけれど、言葉を持つ喜びを知れてよかった。

最後に、ファイルにあった初回の「日記」が『ささくれ』でしかなかったので、みなさんにも読んでほしい。


***


 五年三組での思い出の中で「作文」がある。宿題が日記になってからは、毎日話題を考えて楽しんだり、いい評価をねらってははりきったりしていた。今日からは、その日記をまた毎日書くことになる(昨日は「家族の描写」だったので)。
 今年から字数も多くなり、書くのが大変ではあるが、なんとか書いていこうと思う。
 と、書いたはいいが、早速話題が無い。そもそも、さほどどころか全然話として成立するような生活をしていないのだ。特別出かける事もほとんどないし、家に帰ればだらだら、だらだら、だらだら…。五年の最後もこんな事ばかり書いていた気がする。
 何かテーマでもあればいいのだが。と、結局無意味な「日記」という名のぐち作文になってしまったが…明日は苦手科目の体育と、委員会があるので、まあ話題はできるはずなのだが。


(先生より)ささいなことを、グッと広げて。


***


先生。10年たっても、ささいなことをグッと広げてばかりの毎日です。

ささくれることに疲れてしまった

概要
・メンタルやすらか系の本を読んでいる話
・充電した土日の話
・省エネ暮らしとSNSの話とその他もろもろ

短くまとめるっていうのはないんか。

****

前回のブログで触れた本を読んだ。

こういうものの要約が苦手だが…
最初に感じた感情を否定しない。適切に受け止め、おかしな方向に増幅させるような思考をふせぐ。相手の領域、自分の領域という観点から怒りを捉える。正しさの綱引きをやめる。諸々…。
それこそ「正しいか?」という観点でみれば疑う余地はあるかもしれないが、これはハウツーの本だ。感情に振り回され、ほとほと困り果てている渦中の私には、実践的でたすかった。

とはいえ、そう簡単に凪が手に入るわけではなく、今日も今日とてぷりぷりしている。

朝のワイドショーの企画に毒づき、人通りの多い時間に狭い道へ入ってくる車に毒づき、仕事が進まず隣席のキーボード音に苛立ち、特定の思想を親の仇のごとく憎む逆思想強めアカウントにムカつき、エトセトラ。

ただ、書き込んだり人に聞かせたりしないと、結構、そのまま流れてゆくものだ。浮かんでは消える泡沫のおこ。なんか、これくらいがいいのかもしれないなぁと思う。

ちなみに他に最近読んだのはこれで、

次はこの本を読んでいる。

「そういう奴の本棚」になってしまったが、実際「そういう奴」なのでかまわない。役に立つもん…。

HSPについては、本を読んで自分はそこにカテゴライズされる人間ではないな、とは思った。が、低刺激を目指すほうが生活はつらくないので、考え方は役立てる。

そして自衛隊の本。これは「おうち入院のススメ」に惹かれて買った。
ベッドでゴロンしてなぁんもしないヤツね。元より週末の大半をこうしているが、そんなはずじゃなかったのにこうなるのと「おうち入院すっぞ!」でやるのとじゃ全然違うので良い。


*****

今週前半は省エネな生活を心がけ、それがまぁまぁうまくいった。

先週はプチ限界だったのだ。

前の前の休み(6月最後の土日)は休日1日だったが、
そこに恋人と重要な話をするイベントを盛り込むわ、また別のところで感情ジェットコースターなるわ…で心身ともにめちゃくちゃになり、休みどころじゃなくなった(恋人と食った肉はうまかった。でも次は牛角でいいと思った)。
全般的にただただ計画ミスで、不運とかではないのでつらいところだ。

そんな状態から週が始まり、
納期があり、持ち帰り、残業し、終わらず、持ち帰り、リポD飲み、リポD飲み、遅刻し、
とかやってるうちに、ゆるやかに無理になってしまったので、この週末は休むぞ!!と固く決意。

金曜の夜のスパ銭でじっくり入浴&夕飯からスタートし、
土曜は散歩(ウォーキング)にいき、合間にコメダtimeをきめた。
休むぞ!という週末に4時間歩くのはダメの見本市だが、心が求めていたので許そうや。電車移動中やコメダでの待ち時間には、たまっていた好きなYouTubeチャンネルの動画を観まくる。
そして日曜日は「おうち入院」…のはずが、夕方に恋人からお誘いがあり、ホイホイ飲みに行く。断れないんだ…。
でもなるべく移動したくないとお願いしたので最寄りまで来てくれた。心から感謝できたので、言ってみてよかったね。

しっかりやったお陰で、週明けちゃんと効果が出た。
単純作業を楽しいと思えたのは久しぶりだ。「サボりたい」が入り込まずひとつの作業が続く。死にてぇ~…と脳内で呟くこともない。苦手な電話かけも成功!タスクを書き出すことすら無理だった管理表も記入できた。

すごい。すごいけど、これらを「元気がある」じゃないとできないの、普通にヤバイからなんとかしたい(実際、水曜の時点でもうできていない。タスク管理表を朝作ったが、途中から見なくなってしまった)。


これから歳を取ってもっと元気じゃなくなっていくので、多少ぐったりしてても粛々と仕事をこなす方法を教えてほしい。
いや、それを身につける方法を教えてほしい。
わたしの心になるだけ刺激を与えない手法で。
というのは難しいので、自分のことは自分が救うのが安全。今日はたっぷり寝るぞ。明日の私、なんとかしてくれ…。ごめんな…。


週末じっくり休むだけじゃなくて、平日の過ごし方も変えてる。
スマホ依存を改善したいが、完全にやめるのは難しいので、基本インターネットは好きなものだけ。デイリーポータルZとか、ウロマガとか。SNSはやらない。
音楽も移動中はずっと聴いていたが、減らした。これは予想以上に効果あったかも。ぼーっとする時間が増えた。けっこう音楽でテンションあがっちゃうんで、それによるエネルギー商標も減。職場に乗り込む直前とか、問答無用で「いくぞ!」にしたいときに聴くと効く。

(ただ、こういう決まりも疲れてくると破りがち。
じっさい昨日は寝るまでパワポケwikiを読み、きょうはTwitterMastodonを開いた。
立て直すにはまず睡眠だ。こうなると床につくのも遅くなりがちだが、そこはやり遂げるしか…)

SNSについて。
SNSが悪いというのではなく、良くも悪くも省エネのための試み。
TLには選んでない文字情報がワ!と入ってくるので刺激が強い。
デイリーポータルZはどこまで読んでも(広告以外)デイリーポータルZだし、パワポケwikiも全部パワポケwikiなので、こちらのほうがやや低刺激だ。たぶん…

こんなささくれちゃんっているか?と思ったあなたは鋭い。そうなのだ。私はささくれちゃんに疲れてしまった。

重い意味にとらえないでほしい。ささくれちゃんにはしょっちゅう疲れている。そもそも自分をちゃん付けするアカウントに疲れないほうがおかしいよ。
疲れたり、でも戻ったり、放り出したり、軸はずっとぶれ続け、固まることがない。
SNSを避けているのは、閲覧だけじゃなく発信のためもある。低刺激生活を意識すると、自分の書く言葉でもちょっと過激なものがあると引っ掛かって、ウンザリしてきてしま  う。あまりささくれとして振る舞わないほうが身のためだ、という
感覚。

でも当たり前だけど、ささくれの使う汚い言葉遣いは、もともと嫌いじゃないのだ。
たくさんの好きな文化から吸収してきたものだから。確かにそれらが自分を救ってくれたときがあるから。

しかしながら私を運営する効率性からみると、このささくれ立ったものたちは手放した方が快適なのだろうか…と考え、寂しくなったりもする。

伝わるだろうか、この話。
単純なことをまどろっこしく書いているな。
私はささくれている自分が好きだった。でも今は単純にささくれたものが面倒だ。
ささくれたって意味がなかった、といつか言うことになるなら、それがハッピーエンドだとしても、やっぱりさみしい気がするな。いや、せめてさみしくありたい気がする。

今日もオチるところにオチれなかった。このまま堕ちるところまで堕ちずに、中途半端に浮上して、また明日もやっていこうや。 ね、あなたもね。またいろいろくだらんお話しようぜ。

でも来週にはSNSで火炎瓶振り回してる気もすんだよなぁ…。

「完全感覚Claimer」がボクの名さ

今日は帰宅途中にミスド寄ってドーナツを食べてしまった。あれほんとに意味なかったな…。腹ペコでもなかったのに。
今日は腹がもったほうだ。お昼はモッツァレラのトマトソースパスタだったのに。よく夜までいけたな。チーズがしっかりしてたからかも。



パスタといえばこの前、チェーンのカフェでパスタを頼んだのに、注文が通ってなくて食べられなかったことがあった。
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昼休憩なのに食いっぱぐれてしまった。悲しかった…。


返金のときにキチッと差額のセットドリンク代引かれたのとか、こちとら空腹で働く羽目になったのに、クッキーのひとつもくれないのとか(そりゃそうよ)、いろいろとム…ムム!と思った。
トゥートの肥やしになったので許すけど。

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来ないパスタを待っている間の投稿。排便感覚を失ったというフォロワー(どんなフォロワー?)の呟きを受けて。
こんなことしてる暇あったら一言レジに確認すればよかったのだ。パスタ殺し(生まれてもいない)の責任の一端は私にもある。

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パスタ遅延に焦りと苛立ちが募るも、「この場で怒ることが適切か」判断する自信がなく、ざっくりと人に委ねる。
予想通りというべきか「そんなもん」の回答が割と多かった。そうだよな。でもこの日のカルボナーラはホールに届いてなかった。そういうこともある。

やっぱりそうだよ!だって、チン!したらできるでしょ、ああいうの。できない?あの手のチェーンカフェで働いたことないからわからないや。嘘言ってたらごめんね。


大学生くらいの女性店員に呼ばれ、

「明細が残っていないので、返金するのでレシートをお見せいただけますか?」と抑揚のない感じで言われた。
「えっと………私は何をすればいいんですか?レシートを、持ってくればいいんですか?」
とクソバカ新入社員の返事をしてしまい、「はい、返金しますので…」と淡々と返され、財布を取りにすごすごと席へ戻った。

クソバカ新入社員になってしまった言い訳をさせてほしい。なんか、違くない?と思ったのだ。
今振り返ると、この一連の流れで一番「ムム!」となったのが、このアルバイト店員の最初の発言だ。

だってさ、
「明細が残ってなくて、パスタはまだ作っていません。ごめんなさい。今からだとお待たせしてしまうので、返金対応とさせていただきたいのですが」
「じゃあ、はい(まぁしょうがないよね)」
がたぶん、正規ルートじゃないですか?
なんで私の意向を無視して私のカルボナーラをリセットするのよ。お伺いは立ててよ。というか、そもそもレジで会計を確かに済ませたのだから、明細が残っていないのは明らかな店側の過失なのだから、まず謝ってから入るのが筋でしょう!と思ったわけです。

だから「えっどういう状況なんですか?ひょっとして私に過失でもあるんですか?」というムム!な嫌味が「私、どうすればいいんですか?」に出てしまったんですね(性格が悪い)。
 
バイト女子は丁寧にレシートを受け取り、セット料金をきちんと計算し、コーヒー代を抜いた額を返金して「申し訳ございませんでした」と抑揚のない声で言った。


結論から言うと、私は、このバイトさんは悪くないと思った。私自身はこの手のバイトをしたことがないが、「やるときはやってしまうダルいミスをしたときのダルさ」みたいなものに共感してしまうから。

バイトの抑揚のない喋りからは「ここでは感情を殺す」という意志を感じた。あのカフェ、立地のわりには結構ご高齢の方の多い客層なのもあって、まぁ、なんというか…。いちいち取り合ってる余裕もないんだろうな。
私が正規ルートと思った「返金でもいいですか?」も、クソデカボイスジジイに「意味わかんないよ」と返されたら詰んでしまうし。だからもう、そんな付け入る隙を与えてはならないのだ。
初手の返金処理の時点でそういうのが見えたので、「何を言っても虚しいだけだ」と、アレコレ言う気はしなかった。 まぁ、考えすぎかもしれないけど。

返金対応もそうで、ちまちまコーヒー代なんて抜かずに全額返して「取引をリセット」し「これで手打ちにしてください」の意思表示をする方が対応としては安牌に思える。
でも、バイトの裁量でそんなことしていいのか?私はカフェで働いたことないのでわからないけど、なんかめんどそうだ。レジとかって後で計算合わないと揉めそうだし、自分のポケットマネーから補填、とかもやってもいいのかわからんし(時代も時代だからバイトにそういうのはダメって止められたりとかさ)、なんかそこら辺の手続きとか判断基準とか分からなくて混乱しそうだし、店長がその場にいたら相談できるけど、いなかったかもしれないし。

そういう立場の弱い人のウワアアアな状況と、そのなかで懸命に正確、厳密、律儀な仕事を守ろうとセットアイスコーヒーの料金を計算した気持ちを思うと、ちょっと仕方ないよな、と。
というか、私が学生時代にここのバイトだったなら、必死になってコーヒー代を弾き出していたろうな、と思ったので。

オフィスに戻りながら(戻ってからも)、そんなことをぼんやりと考えていた。やっぱり踏みとどまれてよかった。クレーマーにならないでよかった。

でもああいうときに、言い方はどうであれ、「これは不正ですよ」と意思表示できたほうがいいのだろうか。
先回りで気遣ったあげくわけわからないところで爆発するより、指摘するときは指摘した方がいいのかも。でも小心者だもんで、なかなか怒れないし、冷静な指摘もできない。

…と言いたいところだが私は結構知らない人にはよく怒るし、クレーマーだったりするときもある。

ビラ配りや宗教勧誘は冷たく断るし、通りがかりのババアにイチャモンつけられたときはガン無視で睨み付けて通りすぎた。ピザ屋の店舗外受け取りシステムを使おうとして外で待っていたのに店員が来なかったときは「システムの案内が不足している」とアンケートに文句を書いた。感染防止対策が杜撰なうえに怪しげな疑似科学アイテムを消毒液の代わりにしている飲食店を食べログでぼろくそにこき下ろした。タクシー配車アプリで通信エラーが出まくったので⭐1レビューで苦情を書いた。

枚挙に暇がないし、決定的に引かれるのは嫌だからたぶん意識的にも無意識的にも手加減して書いている。俺はそういう人間だ(©️ビッグダディ)。ほんとやだな。だからもう、怒らなかったのは完全に感覚の問題なのだ。たまたま共感する流れだっただけで、いたいけな学生アルバイトたちが働くドミノ・ピザ(彼女たちも抑揚がなかった)にはクレームを入れたもの。直接言う度胸はないにせよ…。俺はそういう人間だ(©️ビッグダディ)。ほんとやだわ。



そんなこともあって、いやそんなに関係はないんだけど、最近感情をコントロールするための本を読んでいます。

まだ最後まで読んでないので書名などは出さないがけっこう良い本だ。
単に自己啓発本を一服キメたい気分だぜ、くらいの感じで購入したのだが、思いの外実用性がある。「そは言ってもサ…」「そいができりゃ、サ…」みたいな気持ちにそこまでならず、その場で訓練をスタートできる内容なのがいいところ。

とはいえ、根の根から染み付いた血の気の多さと被害者思考と自己肯定感の低さ(※これはちょっと議論の余地がある)はなかなかにしぶとく、
「ハァ~~?!?!?これも?!?キレるなっつーのか筆者ァ?!なぁ?!?俺にくたばれっちゅーのか、アァ?!」
と難癖つけそうになるのをググッとこらえながら、とりあえず一周、あともう一、二周読みたいぞと思い読み進めている。
何回か読めば腑に落ちそうな気がするのでね。「こいつに何言っても無駄だ…」みたいな本なら一読してサヨナラだし、つまり、すごく気に入ったということです。

オチとかはないです。

あとはデイリーポータルZとウロマガ(Webライターのダ・ヴィンチ・恐山の有料マガジン。という名の毎日日記)を読んだりボーッとしたり、慌てて仕事してソファに倒れこんだりしながら過ごしています。
みなさんは今週お元気でしたか?


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この世のみんなが進捗を出しているのに、私の進捗だけが、出ない…。